不調かな?と思ったら

私はしばしば不調になりますので、なった時の対策を書き留めておきます.

期待しない、という技術

私は日々の生活で絶望することが多い。がっかりすることが多い。

私はなかなか職場から帰ることができない。
なぜか。仕事が終わらないからだ。
なぜ仕事が終わらないのか。
心が重すぎて、仕事に手がつかないからだ。
なぜ心が重いのか。
絶望したりがっかりしたりすることが多すぎて、疲れてしまうのだ。

仕事をする上で、心を使用せず機械のように業務を遂行できればそれが一番いい。
そうすることで仕事が終わって早く帰れるから。

仕事というのはスピード命のところがけっこうある。
80%の仕事はスピード命で、スピードが失われると意味がなくなるどころか、
それ自体がなにか悪く害のあるものに変化してしまう場合がある。

80%以上かもしれない。とにかく仕事は鮮度が命。
早く帰れることに越したことはない、お客様も、私も。

でもなにか仕事中、がっかりしてしまうと、それが気になって、
機械になることもできない。

これは自分の持つ一種の障害のようなものだと思う。
それはしょうがないから、対策していきましょう。

 

なぜがっかりしてしまうのか。
それは期待しているからだと思う。

仕事を始める前に一日の予定を立てる。
この時間にこれをやって、これが終わって、今日は定時に帰ろう。

しかし、「この時間」に、他の人から○○をやって、と言われる。
その○○は、もちろん私じゃなくてもできることなら断れるけれど、
その状況でそのタイミングで私にしかできないことだと断ることができない。

ここで一つがっかりする。「この時間にあれができなかった」
「この時間にあれができなかったから、今日はもう定時に上がれない」
それだけで私は絶望する。

私は他人にも期待している。
「これだけ私は仕事を溜めてしまっているのだから、私は忙しいのだから、
それを他の人も分かっているはずだから、私に仕事を振ってこないだろう」

しかし実際、仕事を振られる。
もちろん断れる状況なら断る。

でもきっと、断り切れていないとも思う。
「断ったら次仕事頼まれないかもしれない」とか、
「嫌われるかもしれない」「感じ悪い人って思われる」とか、思ってる。

思ってる。私は、そういうことを思ってる。

そして仕事を引き受ける→計画通りに進まなかったことにがっかりして仕事に手がつかない
→仕事が遅くて帰れない→いつまで残って何してるの?という状態

悲しすぎる…

 

 

まず、自分が、がっかりしている。絶望している。という気持ちを、受け入れる。
次に、がっかりしているのは、期待しているからだ。と気づく。
気付いたら、期待しないように、方法を考える。

 

「何も期待しない」ということは、技術。

他人が、自分の思い通りに動いてくれること、自分の忙しさを慮ってくれること、
自分の状況を理解してくれること、大切にされること、
私に都合のいいふるまいをしてくれること、

すべて、最初から、期待しない。

期待しなければがっかりもしない。
気持ちの立て直しのために時間を割く必要がなくなる。

期待していると、それが叶わなかったときのインパクトがすごい。
一日の大半のエネルギーをもっていかれる。

一日に使えるエネルギーが例えば10だとすると、
期待することで、1使う。
がっかりすると、それだけで3使う。
気持ちの立て直しに、5くらい使う。

残り1で仕事をしようとするから遅いしいつまでも帰れない。

まず、期待するだけでもエネルギーを消費してしまってることに気付くこと。
そもそも期待はあまり意味のないことである。
自分に都合のいい動きを他人がしてくれることを前提にしてしまうという行為。
そもそも、「期」を「待つ」という言葉。
待っていても無駄。「期」は、作っていこう。
今まで、期を待っていて、果たしてそれが望むタイミングで望む状態でやってきてくれたことなど、
一度でもあっただろうか。
いや、無い。

いつも期が来るときは私の準備ができていないことが多い。
ただ待っているから。何もしないで待っているから。

そう考えると私にとって「期待」は「何もしないで棚ボタを待っている状態」のことを言う。
翻訳してみてそれがいかに危険な状態であるのかが分かった、、、


他人は、私の気持ちが分かるわけない。
私が伝えてないから。
察してほしいと思っても、たとえ察してくれても、それが的外れだったら、
さらに悲しい。


何も、期待しないことは、技術。

期待はしない。期待は思い込みにつながる。
他人の気持ちは分からないから対話して意思を確認していく作業が必要。
そのデータ収集によって結論を出す。

期待ではなく。データを集めて、結論を出そう。

期待しないことは技術。(所要時間50分)

 

ブログの説明及び不調の原因

このブログの主旨

 

私はしばしば不調になります.


端的に言うと、まあ「死にたくなる」「めんどくさくて動けなくなる」といった状態なのですけれど.
今はまあまあマシになったのですけれど、昔の私はかなりのめんどくさがりやでした.
どれくらいのことをめんどくさがっていたかというと、もう歯磨きさえもめんどくさがるレベルでした.もうほんとずっとエンドレスで寝ていたかったくらいです.


大学時代の夏休みとか、2,3日寝っぱなしで、たまにトイレに行ったり、水分補給するくらいしか行動していない時がありました.予定が無いととことん行動を削る傾向にあります.

 

過去の私は、
大抵のことをめんどくさがる→色々なやるべきことが溜まっていく→期限が迫ったり、急かされてしょうがなくやるべきことをやる→やりたいことをやる時間が無くなる→やるべきことをサッと終わらせて、やりたいことをやっているように見える他の人を見て、劣等感を募らせる→自分はめんどくさがり屋でのろまでダメなやつで…自己嫌悪→ますます「やる気」がなくなる→最初に戻る
こんな負のループにはまっていました.

 

そんな私が、どうやってその負のループから抜け出したのか、また、負のループにはまらないように行っていることを書いておき、不調になった時に自分が見返せるようにと思ってこのブログを作りました.

 

過去の私は、ほんとに「やる気」が無くて、いつも「死にたい」とか「永眠したい」とか言っていたのですが、こんなブログがあったら喜んで読んだだろうなあ.といった感じのブログにしたいです.


過去があって現在がありますので、過去の私のダメダメさも結果的に無駄ではなかったのですが、仮にも、「死にたい」という気持ちでいるのは辛かったので、過去の自分に向けて書こうと思います.むしろよくここまで生きてきてくれたな自分.死ななくてよかったわ.ありがとう.

 

不調の主な原因-「やる気」の危険さについて.


せっかくなので、ざっくりと書いておきたいと思います.
不調…というか、「めんどくさい」の原因.


それは、
「やる気」が出てからやろう.それまではやる気にならないんだからやりたくない.と思っていたからです.


結論から言いますと、「やる気」など永遠に出ない.です.


「やる気」という言葉もしくは「モチベーション」とかでもいいのですけれど、これに類する言葉は本当に危険です.(当社比)


私は、「やる気」という言葉、概念を危険視していますので、カギかっこをつけて丁重に扱います.

 

何かの本で読んだのですけれど、「やる気」は、何かをやり始めないと、出ないらしいです.脳の仕組み的にです.


「やる気」物質が、脳から分泌されて、我々はやる気になる.
そしてそれには、何かをやり始めないと分泌されないとのこと.


何かをやるためにやる気を出したいのに、行動を始めないと「やる気」物質が出ない.
こんな矛盾がありましょうか.
今私はアラサーなのですが、25年くらい「やる気」が出なくて大抵のことをめんどくさがってました.
約30年くらいの人生の中で、ほとんどの時間ですよ.
むしろ20代のうちに知ることができて良かったのかもしれませんが、若い時の時間は貴重なものですよ.


脳の仕組み的に、「やる気」物質は、何かをやり始めないと分泌されない


この事実を、もっと早い段階で知ることができていたら.
歴史にifは無いので嘆くのはやめにしましょう.

昔の私は、「やる気」が出ないから歯磨きさえめんどくさいんだ、と思ってました.
他の、行動力のある人はやる気があるからできるんだな.とか.
まあ、単なる甘えなのかもしれませんが.


でも私は、このブログではきれいごとを書きたくない.理想論を語りたくない.


きれいごとや理想論や、世の中にはびこっている根性論で、過去の私がどんなに傷ついたか.


過去の私によって迷惑をかけられた人がこのブログを読んだら、「何を甘えたことを言ってるんだこいつは」とか、「みんなやってることがなんでできないんだ、ものぐさなだけじゃないか」とか、思うでしょう.


でも、やらなくちゃいけないことをやりたくない.そう思ってしまうのは、しょうがない.


なぜなら、自然に湧き上がってくる気持ちなのだから.

 

「やらなくちゃいけないことをやりたくない」と思った結果、行動するのかしないのか問題

 

「やらなくちゃいけないことをやりたくない」その思いに従って、実際行動しないのか、
または、そうは思うけど、まあやる必要があることなんだからしょうがないからやるか.と思って行動するか.
ここが大きな分かれ目です.
気持ちはこの際、ある意味どうでもいいのです.


行動しなければ、やる必要があることをやらないわけですから、実害が出ます.
例えば歯磨きですが、やらなければ虫歯、歯周病などの病気にかかります.
口臭もきつくなるので周りの人も迷惑するでしょう.
自分だけではなくて他人にも迷惑をかけてしまいます.

 

繰り返しますが、「やらなくちゃいけないことをやりたくない」という思いが湧いてきたとき、行動するのか、しないのか.これが重要です.


多くの人は「必要があるんだから、しょうがないからやろう」と思って行動したり、
または、そもそも「やりたくない」という思いが湧いてこないかもしれません.

そういう方は、おそらくここまで読んでないとは思うのですが…
だってめんどくさいとかやりたくないって思わないわけですから、素直に行動すべきことや行動したいことを行動しているわけで、日常生活に何の支障もありません.
そういう方にはおそらくこの文章は必要ないので、途中で無駄だと判断してここまで読んでくれてないでしょう.

 

この文章は、再度確認ですが、どうしようもなかった過去の自分、また同じような状況の方に向けて書いているのです.


ちょっと話がそれました.話に戻ります.


「やらなくちゃいけないことをやりたくない」と思った結果、行動するのかしないのか問題です.


やる必要があることだからこんなに悩んでいるのです.


だから、そう思ったときにどう行動に繋げていくかが肝になります.
長くなりましたので、現在どう行動しているかは別の機会に書きます.

 

ここまで読んでくださってありがとうございました.
もし、全部めんどくさくて何もやりたくなくて死にたい、と思ってる方がいましたら、まず、そう思うことは自然なことです.と伝えたい.


全然思いますよそんなん.


いったんそう思ってしまう自分を受け入れましょう.


自然に湧き上がってくる思いなんですから.しょうがないじゃん.


でも、どうか死なないでほしい.


私も昔も今もそう思うことは割としょっちゅうですが、死ななかったので、今も生きているし、おかげで楽しいこともたくさんありました.


だから、どうか生きてほしい.


生きてれば、なんとかなりますから.

 

どうやって何とかしているかをこれから書いていきますので、よろしくお願いいたします.

上記の理由から、わたしは「やる気」を持ち合わせておりませんので、更新は不定期になると思いますが.


まずは、今日を生きていきましょう.